孤独感は、なし!

また雪化粧です。
明日も雪らしい。

昨日、仕事が一段落ついたので、
少しでも外の空気に触れましょう、と
用事をするのを止めてカフェに行った。
ゆっくり治せばいい。リハビリ。

街が心無しか、すっきりしている。
暴風のおかげだ。

好きなカフェ、「カルメ」に向かったのだが、
わくわくするはずがまた突然不安に取りつかれ始める。

お昼に白エビとニラの上海焼きそばを作ったのだが、
喉に引っかかってる・・。
嚥下不安恐怖症とでもいうんだろうか。
とにかくナーバスになってる。
脳が反応して、ね。
暗い気持ちになって体動かせなくなった。
呼吸、呼吸・・。
ややもすると気が狂いそうなのを抑えつつ。
もう・・生きるのが、しんどい。疲れたよ・・。
目も治り切ってないのに、次は一日中発作に怯える。
目の奥の痛みや見えなさ、失明の不安で
一年苦しんだと思ったら、
次はこれ。間断なく襲う。一年の間、楽な時ない。
持久走苦手なのに。
短期決戦型なのに。

だけど、ここの名物(と私が断定しよう!)
焼き立てのフォンダンショコラが運ばれてきた時、
一瞬吹き飛びました。

サクサクの外側、たっぶり溢れ出る中のチョコレート。
喉をまろやかに通っていく。
「おいしいね〜!!」としみじみうなづきあいつつ、
感謝感激でいただきました。

でもその帰りの車中で、もう戻ってくるヤな感覚。
「夕食、作れるかな・・」

ゆっくりゆっくり動き、
CDの音楽で気を紛らわせながら台所仕事。

最近お気に入りの蓮根の葛仕立てのすり流し汁。
スープ類が、一番体に染み通ります。
それもゆっくり、ゆっくり。
それでも喉の詰まりは取れない。

食後、すぐにY君のとこに向かう。
喉の引っかかりに効くのかと思いつつ。

マッサージしてもらっていて、
目の所を手で覆われた時、
どばーっと涙があふれて来た。
起き上がってマッサージしてもらっている間、
えぐっ、えぐっ、と子どもみたいに泣きじゃくっていた。

泣けるのはいいことだ。
物理的に喉に何かが詰まった訳ではなく、
心、胸に詰まっているのかもしれない。

「どうしたらY君みたいになれるんですか?」と
聞いてみた。
すると、
「長年の積み重ねなんですけど」と、と教えてくれた。
空いた時間はすべて瞑想にあてているそう。
自分の中をきれいにして、
エネルギーを流して通している。

そういう、生き方が、本来なんだな−−。
もっと、瞑想しよう・・・。

見上げる、満月の近い月。
何かも一緒に写った。

今朝、降りてきた言葉。
「私を愛してください」と。
「私」というのは自分。
自分のこと、愛して、と私に言ってきてる。

それと、英語ではめったに降りてこないんだが、
「May I love in ?」って。
へ?え?
「好きになってもいい?」という意味かな。

もう一つ、「パテリオ」って。
ネットで調べたら、
何か調理器具みたいな名前が出てきてがっかり。
でもさらに調べると、
ボリビアにパテリオ教会というのがあるらしい。
ボリビアは惹かれる土地の一つ。
ボリビアの服も持っている。
patior、ラテン語だとしたら、
「・・私は耐えてます・・」というような意味になるよう。

私は苦痛に耐えてる。
どうか、私を愛して。
自分を好きになって。

・・という、切実な「自分」からの訴え、だねぇ・・。

申し訳ない。
まだ、自分を愛することが、できてない。
ごめんね、私。
否定して、がっかりしてるよね。
これは、母が私にしてたのと一緒なのに。

一つ、気がついたことはある。
昨日、クリニックで心理テストみたいなの受けた時、
「孤独感はありますか」
それは、ない。ナッシング!
それが昔と違う所。
富山で友達と遊びに行く、ということは
5年経ってもできない状況だけど、
「私」を覚えてくれる人も増えている。
似たような感覚を持ってて、共有できる人もいる。
話してくれる人もいる。

どうぞ、もう少し、自分を楽にしてあげて。
周りの人は待っててくれている。