[]という訳で、最後かもしれない紅白だから。

朝起きたら、また雪化粧…。さらに、さらに降り積もります。とても大掃除やら車洗ったりなどできないんですねー、雪国は。


今年最後の日です。


アピアへ。妹夫婦へのお年賀はリブランさんの「いもう富」にしました。義弟は洒落分かるハズ。


ちょこちょこ買いして、お昼はさすがにやってるお店少なくて、モスへ。ソーセージは良くないと昨日読んだばかりですが、ホットドッグを。これで食べ納めにしよう。


ホワイトアウト
ここはどこなんだ。
数メートル先まで見えないような中、進みます。早速田んぼに落っこちた車もあります。

帰宅して、よろめきながら掛け軸の高さ調整やら注連縄取り付けやらしました。


パソコン作業も軽くにしておいて、ランチ作業、雪掻きを終えたむろやんとじゃがいものチーズ焼きを食べました。紅白見るつもりだから、分散して食事。

じゃがいもの皮を剥いてる時に、また鮮明なヴィジョンが頭に浮かびました。


美内すずえの漫画「ガラスの仮面」のラストシーンっぽい、大きなコマ。マヤが上手(かみて)にスタンバイしてて、「これから、私の紅天女が始まる…」。これがラストシーン。ほんとに当たったら凄い。


船井幸雄の本に、「先生の病気は、みんなを動かすために病気にされている」とあり、そうだな、むろやん動いたものな、と首肯。船井先生と一緒にするなどおこがましいですが。


紅白、見られる時は見るようにしています。

なぜかというと、一時、聴力を完全に失ったことがあったから。


11/30に事故に遭って、その年の紅白の時もまだ聞こえなくて、轟音の耳鳴りで体が衰弱してて寝たきり状態だったんです。


「去年、あの時が、最後に聞いた紅白だったのか」と思いました。
いかにつまらないと言われようが、自分の耳ではもう一生聞けないということ。きちんと見ておくべきだったと思いました。


嫌でたまらなかった母の声もそうです。「母の声をもう一度聞きたい」、と自分でも気が狂いそうなほど、慌てて、焦って、そら恐ろしい事実を信じられなくて、とても悲しくて。


この世に嫌な音なんてない。虐殺される時の犬の悲鳴であろうが、今現在、再び頭の中で鳴り始めた耳鳴りであろうが。


犬の悲鳴は聞いてあげなくてはならない。聞いて拾ってあげなくてはならない。


轟音の耳鳴りは何かを教えてくれている。


数ヶ月して奇跡的に元のレベルまで聴力が戻り始めた時は、貪るように音を聞きました。

…どんな嫌な音でも、
愛すべき音であるよ…
と思います。


そんな訳で、私は紅白を見るのです。


いつが最後になるか分からない。


お客様に教えていただいた詩を。


「最後だとわかっていたなら」途中を抜粋します。

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あなたがドアを出て行くのを見るのが

最後だとわかっていたら

わたしは あなたを抱きしめて キスをして

そしてまたもう一度呼び寄せて

抱きしめただろう 


あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが

最後だとわかっていたら

わたしは その一部始終をビデオにとって

毎日繰り返し見ただろう


今日で全てが終わるのだとしたら

わたしは 今日

どんなにあなたを愛しているか 伝えたい


愛する人を抱きしめられるのは

今日が最後になるかもしれないことを


あなたは今日後悔するかもしれないから


忙しさを理由に

その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと


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阪神大震災も体験したし、この歳になるとたくさん、たくさん別れの体験をします。


あれが私を私と認めた最後の脳の働きだったのか、最期の日だったのか、あれが永遠の別れだったのか…。


だから、愛していることはまめに、いつでも伝えよう。今日と言わず、一瞬先には別れがあるかもしれない命。

自分の目や耳、脚もそう…。


自分の体の全てに。

周りの人や事象全てに。


感謝と愛を捧げて。2009年の紅白を単純に楽しみます。蓬湯とみかん。スタンバイOK。スーザン・ボイルさん楽しみ。


早めの年越し蕎麦。三つ葉とへぎ柚子です。シンプルに。清貧に。誇り高く。生麺買おうとひっくり返して見たら、添加物結構入ってるのですね…。おだし手作り。安心して飲み干しました。


おせちはYさんが届けてくださいました。ありがとうございます!

では皆さん、よいお年を!


私の長々ブログ、いつも読んでくださって、ありがとう!

Thank you!!!


来年も、あなたの素敵な一年でありますように!


みんな、一つだよ!