[]強風に痛めつけられる葉、戦争で散った命。でも…。

今、強風にさらされて痛い思いをしているであろう庭の草木。


第二次世界大戦中、大事な我が子を戦地に送り出さなければならなかった母親の気持ちに思いが至った。


大事な我が子を大量に強風のように戦地にさらわれるというのは、スピリチュアル的にはどういう意味があったのか?天界で日本人の魂を必要とした?


むろやんに質問してみたら、「分からない」と。


でも、しばらくするとむろやんが「今読んでる本にそれが出てきたよ」と。


おお。神様すぐ示してくださったのか。


私も前に読んだ本だけど、それによるとこういうことらしい。


「そういうタイミングで起こっている。今は捨てる時。」


木々が葉を落とす時、その葉となる必要は全くない。あなたはその木自体なのだ。


葉は落とされまいとしがみついたとしても、落ちるべきタイミングで落ちるべき葉が落ちるのだ。


全ては天地のリズムに導かれている。それに逆らおうとすることは、逆により悲劇的にその法則を成就させてしまうことになる。自己と他者の悲痛を招くだけ。聖なるリズムにいかに響き合うかは、あなたの選択で決まる。

日本の戦時中、赤紙を渡されてもノーとは言えなかった。あなたがアセンションすることは、ノーと言うのと同じほどの、自己犠牲的なまでの勇気が要る。

もし、木々が葉を落とすのを惜しんでいたなら、木々は命の危機に陥る。これと同じことをあなたはやろうとしている。


過去のものを失わないように執着すればするほど、天はあなたにハードな喪失を強いることとなる。


今はすべてを捨てるべきリズムにある。捨てることに悲痛、恐怖を感じるのは、新しい文明がすでに胎動を始めているのに気がつかないからだ。


以上、「ガイアの法則」
千賀一生 より、抜粋してまとめてみました。


確かに、私は抱え込み過ぎている。執着している。草木だけでなく、見映えだとか、プライドだとか。だから風が辛い。悲痛に感じてる。それを捨てなさい、という強風なのかな。確かに、ハードな喪失感。過去に、ノー、もう要らない、と見切りをつけなくては次にいけない。


では、戦時中、大事な我が子を送り出す母親の気持ちはどう考えたらいいのか?


魂がそれを学ぶためのタイミングだったのは確かだけど。


あの時はノーと言えなかった。だから、今度はノーと言おう、ということか。


あっ、そうか。分かった!


木だ。


たくさんの若者たちが死んだように思うけど、たくさんの我が子を戦争に奪われたように思うかもしれないけど、私たちはずっと一つ。散ったのは葉っぱなんだ。木である大元の魂は大昔からずっとそのままなんだ…。根幹は宇宙、「創造」と同じなんだ。末端。成長するために葉っぱが散ってるんだ。


よくここまで辿り着いたぞ。ヨシ!