重症心身障害の赤ちゃんは天使。
日中もとめどもなく降る大雪。大寒波。これを過ぎれば、あとは春に向かう。寒い2月を越えて。
新聞を読み返していたら、高橋源一郎のこんな記事が目に止まった。
「対等な関係の中にある学び」。
映画「普通に生きる」は重症心身障害児(者)を持つ親たちが、子どもたちのために通所施設、即ち社会と交流できる場所を作ろうと奮闘する、戦いの記録。
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体も動かず、ことばも発することのできない心身障害児(者)が、親を動かし、成長させる。そしてその親たちが、鈍感な社会を、また成長させてゆく。常識とは異なり、弱い者、小さな者もまた、強い者、大きな者を育てることができるのだ。ぼくは、ここに「教育」のもっとも重要な本質、相互性(互いに教えあうこと)を見た。
(中略)
重症心身障害を持つ赤ちゃんを抱かせていただいた。この世に「天使」がいるとするなら、この子かと思われた。もっとも弱い存在でありながら、それに触れる者を、つき動かし、変えずにおれない力を持つ故にである。それは、最良の「教師」の姿ではないかとぼくは思ったのだ。
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言い募るのではなく、声高に叫ぶのではなく。
柔らかい存在が、一番大きく世の中を動かす。
その下の記事を見てみれば、これは、富山のある事業所での話を書いている。
昨年10月、富山の事業所を訪れた米国人の元捕虜2人に、所長が素晴らしい言葉をかけたこと。
「私たちの先輩が、お二人をどのように扱ったのか、話して下さいませんか。私たちも学びたいと思います」。
先述の高橋源一郎の記事にも通じるところがある。
なんと崇高な、気高い。
2人の元捕虜の66年間忘れられずにいたつらい思いを一瞬にかき消すようなものだったという。
しかも富山。世界の雛型の日本の、さらに雛型であれ。
対話の世が。
雪が止んで、夕方の光が部屋に差し込んできました。
すべからく、今日の天気のように、きっと。