「88 一つ光を貫けり」。
早朝、すぽんとおりてきたのが
「88 一つ光をつらけり」
私が俳句作った訳じゃないよー、言葉がおりてきたんだよ。字余りだし。まてよ。俳句じゃないかも。
88年、私が生きてきたわけではない、そんなおばあちゃんではない。…と書いたら、私の中の何かが88年経ったのだろうか。
88って、お茶って八十八夜だよね…と思いながらまた眠る。
昨日、7で、次8か。
「やそくもの」
とまたおりてきた。
多分、「八十雲の」だとは思うんだけど。
88。
Wikipediaでみたら、
四国88ヶ所。
星座の数。
グランドピアノの鍵盤の数。
お茶の八十八夜というのは、立春から数えて88日後の夜。
先日立春迎えたばかりだから、88夜に何か起こる、とか?
数霊では、
無限なる場所へ続く道。
弥勒の世へと至る。
「多次元領域宇宙・永遠無限へと続く道のゲートウェイが開かれ、物質世界の最終ステージと弥勒の世の新しいステージが始まった」サイン、らしい。
…と、たまたまパソコンの検索やると、千葉に弥勒町88、という場所が実際にあって。
その場所には特になにもなかったけれど。
ちょっとドキドキしました。
「やそくもの」については皆目分からず。
んー、よく分からない。でも、「一つ光を貫けり」
好きな感じの言葉です。
お客様と、それぞれに合う形でメッセージがおりるんだね、と話。
言葉や多面体、数字が好きな私が、興味持ってワクワク楽しんでずっと調べていけるような形で。
チャンネルが波に合ったような感じもします。
例えばNHKの料理の番組にチャンネルが合ったような。
誰かの想念をキャッチしたのかもですが。
ディクシャをしてもらったら、
「己をむなしゅうす」という言葉がおりてくる。
ディクシャをしてあげたら、
「私を使いなさい」という言葉が。
自分を空っぽにして、自分の体を使え、という意味かと。
愛だけで充分まわっていく世界。
ちらちらと実体験はしている。
もう少しで分かりそうなのにあと一歩のところで分からない私たち。