気にしない。ガラスの仮面。

私が取っているのは朝日新聞
朝日歌壇に、
今日も富山市の松田梨子・わこ姉妹の短歌が載っている。
そして「声」の欄にお母様の投稿も載っていました。
お母様、と言っても私と同い年なのですが、
情緒豊かな文章。
こんなすてきなご家族が近くにお住まいなんて、
とても嬉しいです。

朝、瀬織津姫の祀られている瀧社へ。
雪で塞がれていて近寄れず。手前で参拝。

狛犬のお顔、
昨日からパニック防止のためにひたすら眺めている
にゃんこの顔に似ているのに気がついた。偶然?

街へ車で行く途中にまたパニックっぽく。
引き返そうか、と思った。
実は朝も。
アスベストで肺をやられる、あの辛さに似ていそう。

本屋さんで見ていると、
ふと目に留まったのが「脳過敏症候群」。これかも。
昔、轟音の耳鳴りで何回も苦しんだが、
あれは「耳鳴り」ではなく「頭鳴」というらしい。

とりあえず
お昼を食べるためにお店に入って頓服を飲んだが、
気持ちが上ずって声も出なくなってくる。
お店を飛び出すか。
もう外出も自由にできない生活に戻ったのか・・?

料理が運ばれてきて、
食べていたら気が紛れるかと思ったが、
怖くてほんのひと箸ずつしか運べない。
ついには箸を置いてしまった。
薬、もうすぐ効いてくるはずだから・・と
言い聞かせてこらえる。

しばらくしてふと浮かんできたのが、
懐かしいアニメの一休さんのテーマソングの一節。

「♫気にしない〜  
  気にしない〜  
  気にしないィイ〜〜♬」

そうだ。気にしない。

目の前のアジのフライに箸を伸ばしてぱくっ。

漫画にもあった台詞も使わせてもらおう。

「オレの最近のテーマは『気にしない』だ。
 男らしかろー。」

これでいこう。

太鼓の達人」を叩きまくって、
プリクラで美人に撮れたのに驚いて、
呉羽山から雪、だけど春の空の街を見下ろして。

楽しまなきゃ、もったいない。

「コーナーカフェ」で
絵本に出てきそうなパンケーキをいただきました。

もう一度本屋さんに寄って、
病気に関する本はわざとスルー、
ガラスの仮面」と楽しそうなDVDを調達。

ガラスの仮面」最新刊。
発売は土曜日だったのですが、富山は一日遅れ。
さらに日曜日は入荷無し、ということで
今日やっと入ったのです。

読んでいてまた発作出そうになるので、
むろやんが作業している酵素室で続きを読みました。
しばらくは我慢しないで早めに頓服は飲んだ方がいいな。

亜弓が暗い中やった演技、
私が前東京でやったソロの舞台に似ていてぎょっ。
いえ、もうパクられていようが気にしません。

あの時は舞踊評論家に
「まるで目の見えない人が踊っているようだった」
との言葉をいただきました。

亜弓さんは目が見えなくなったことを元に研鑽を重ね、
演技に神秘性、深み、説得性が出てきた。
「目が見えないからこその演技」。

女神を演じるのだが、だからこそ、
生身の人間の目は却って不要、要らないのかもしれない。
目は見えない方が神に近くなれるのかもしれない。

目が見えないのは苦しくて痛くて辛いけど。
それを超えたところに。

私も目、この約10ヶ月、そうだったから。

耳も同様に。

私の目指す所も
「耳が聞こえないのに音に合わせて踊れる、スゴいね」
という踊りではなく、
「耳が聞こえないからこその踊り」だった。

自分で最高、と思える作品を5つ位は公演できたから
もう今はそれでいいと思っている。

培った踊りのスキルは、もったいないとは思わない。
今でも時々、エチュードくらいは踊りたい自分がいるが、
もう、多分私の中身は変わった。

踊りたくなったら、また踊ればいい。

という訳で、潜在的舞踏家です。