[]「ありがとう」。みゃあちゃんは前より私のそばに。
プチ家出から戻った。
なにせ、風が強くて車が揺れる。不審な車や人にビクビク。こんな精神状態ではよからぬモノにとりつかれそう、と帰宅した。
いきなりむろやん何かをわめく。「つばさくんが悪い」? 聞き直したら「プラムが悪い」。今日買ってきたプラムがおいしくない、ということらしい。今のタイミングで言うかあ?それはサンショウに言えよ。私はいいプラムを選べないほどの精神状態なんだってば。「ジョークだ」そんなもん、ジョークとは言わん。
眠る気ないまま、BRUTUSの猫の写真を眺めたりする。やっぱり猫は特別な生き物なんだよなぁ。
質問メールしていた新潟のYちゃんからアドバイス。みゃあはきっかけに過ぎないのでは。うーん。
ブログ見てくださったKちゃんからもメールいただきました。
結論。
やっぱり、
「ありがとう」なのだ。
起こった事象すべてにありがとう。
計画されてた出来事がタイミングぴったり成就。
ありがとう。
今は納得いかないかもしれないけど、私のための出来事。
ありがとう。
この煮え詰まった頭にただシンプルに、「ありがとう」。
すべては川の流れのように流れている。流れに竿さして変な渦(想念)を作っているのは私の表面の意識だ。
竿さしたのは、むろやんへの不満やあてこすりがあるかもしれない。認めたくない感情の数々。
見せてくれて「ありがとう」で流しちゃえ。
今は自分を閉じ込める檻を建設中だったわ。気がついてよかった。
みゃあもそんなのは望んでない。終わったこと、不可抗力。悔やめばいくらでも悔やめるし、状況を怖く感じてしまう。ナーバスになる。
みゃあは、変な力を入れて生きてない。委ねた生き方を私に教えてくれてた。
こんなことにエネルギーを使わないで、お姉ちゃん…。
みゃあは肉体から離れた分だけ、以前より私の近くにいる。みゃあも富山に住む私の様子を見ることができるようになった。
だから、今初めて一緒なのだ。時々コンタクトを取りながら、私は再び走り出そう。
みゃあちゃんの温かい重みの抱っこ、匂いは私が天命を全うしたあかつきにご褒美で待ってるかもしれない。寂しいけど、いっときだけだ。
みゃあ、一緒に生きようね。これからもよろしく。お姉ちゃんちょっと取り乱しちゃった。
Yちゃん、Kちゃん、遅い時間にありがとうございました!