猫の方が霊性高い。人間はまだ及ばないのかもしれない。


昨夜は一人、早めに寝た。


昼間のむろやんの言動「落ち込んでるのを楽しんでいる」や
みゃあのことを鼻で笑ったり、そうかと思うと
「鬱だと気を使わなければいけないのか!」と逆ギレされたり…で
愛想が尽きたというのか、孤立感深めたというのか。泣き疲れて寝入った。


夢に知り合いがいっぱいでてきた。
高校の山岳部に、なぜかダンサーになってからずっと10年好きだった男性。

私の前に立っていて、振り向けてくれた懐かしいあの笑顔。
軽い冗談言ったり。私もどさくさに紛れてプレゼント渡したり。
夢で逢えるだけでも元気出る。



—あの人、まだこの世に生きてらっしゃるんでしょうか。


今日は1日動かない、と決めて遅くまで寝ていた。
でも暑いの。


お客様お入れしてから、むろやんの実家の買い物について行きました。
うちのも買わないと行けないし。


アピアのサンビアンで粟しょうゆを買ってみました。



むろやんが実家に行ってる間、五福のアリスで立ち読みしていたら
Sさんが。奇遇。向こうも私もめったにここに来ないのに。


ずっと立ち話。


8月にある二胡ジャー・パンファンさんのコンサートチケットを受け取ったり、
近況いろいろ。アドバイスも。すっきり片付いた。

ちょうどチケットくれる予定の人がコンサート行けなくなったと
連絡あったばかりなんだって。不思議な話。


パートナーだから鬱の気持ちに寄り添えて当たり前、と思わない方がいいのか…な。
相手への期待、思い込みがトラブルの元になる。パートナーと言っても何考えてるか分からない。


猫のみゃあちゃんでさえ強い絆が結べたのに、人間のむろやんが…、ではなくて、
猫の方が霊性高い。人間はまだ及ばないのかもしれない。複雑、なのかもしれないけど。


心底理解しあい、支えあい、高めあうのが夫婦と思っていた。
だが、こんな風に理解してくれない、というのも学びのあり方かもしれない。
人智を超越して。


連日のようにサポートが来る。


遅めのお昼。ファボーレの「紅虎餃子房」で白胡麻冷麺、餃子に食べるラー油かけたの。

お皿に残った食べるラー油をしましまとつまむ。
実にウマい。家の石ラー、開けようかな。

ヴィレッジヴァンガードで猫漫画「くるねこ」を買う。
心理学的には代償とでもいうのか。
写真集ではなく、かわいい面白いエピソードや絆が見たい。


帰宅してすぐ読破。時折笑ったり。


思いがけず、昔飼ってた猫二匹の最期の話もあった。
見開き全部、同じ息絶えた猫の絵で埋め尽くされていたり。
やはり、悲しいものなんです。


くるねこ」、前に新聞の全面広告に出てて、
あまりの面白さに母に電話で漫画を説明したものです。
今は身近に猫のあれやこれやを一緒に面白がってくれる人はいない…。


子猫のオシッコを出してやった時、出たら

「♪出たよ
出〜たよ
ちっちが出たよ〜♪

ハイ
わっしょい
わっしょい
わっしょいなーー♪」

(ちっちだわっしょいの唄)


同じ猫の分かる人、ここにあり!得難く貴重だ。全巻買おう。