西宮へ。風土。踊り。阪神大震災。

寝てる方が体がとてもしんどくてかなわない。まだ微熱。寝具を見直した方がいいかな。

長距離移動は体にこたえるかもしれないが、関西に戻ればけろっと治るかも。


激しく降りしきる雪。

朝のサンダーバードに乗るため早めに家を出たが、想像以上にあちこちで渋滞がひどい。

でも気持ちを楽にもつコツは見つけたので焦ることもイライラすることもない。淡々。むろやんは焦りまくり。しきりに顎ヒゲを撫で、携帯の時計を見。


無事、サンダーバードに乗り込みました。着替えは持ってない。ゴム長靴のこの格好で西宮に降り立つのは少々気恥ずかしいが、病気療養、ということで。

雪景色はずっと続いたが、途中でからりと乾いた穏やかな景色に。緑の山に、青い空。


あっ!白い雲の形が、走る人の姿。夢の中で一緒に走ってくれた人と同じ姿。宇宙が「さあ!」と励ましてくれているように感じた。とても明るい、細やかでいて陽気な。アミのような魂を感じた。きっと、そういうものだった。


穏やかな日差しに包まれた車窓の景色を見るだけで癒される。太陽の光が精神に与える力を感じる。


先日泊まりに来た友人の話に、アウェイだという話が出た。自分の土地ではない所では、不思議に自分の力が発揮できない、と。まさしく富山に嫁いだ私がそう。


今まで外国にいる方が自分らしくいられる。どの土地でも自分は同じ、と思っていたが、それはちょっと違っていたかもしれない。結婚してパートナーと生活していく、となると勝手が違う。


外国にいると本来の自分になれて心地よい。だから自分を取り戻すために行きたいのに、この数年、外国に行けなくて苦しかった。物見遊山に行きたかったんじゃないんだよ。遊びで海外行ったことは一度もない。


しばらく海外行ってないので、日本から海外、それが富山から関西に縮小されたのだろうか。小さな日本のはずなのに。オーストリアと日本より、富山と西宮のギャップの方を大きく感じる。


HOME。


戻ってきたんだ。


あれだけ「HOME」でなくて、否定していて、自分のHOMEを探していたのに。


正確には土地だろうか。磁場だろうか。

空気が肌にしっくりなじむ。例え富山より汚くても。


…やはり舞踏は私の中にはないんだ。舞踏は昔の東北の風土で生まれた。富山よりきついという東北の。温暖な土地の者がやっても、それは真似事だ。フラも、然り。


では、この関西から生まれる踊りって何だろうか。沖縄の踊りではなく。この中途半端に甘い、生ぬるい風土。寒くても屋外の稽古に不自由しないというのに。何も生まれないのかな。芸術を生み出すのは厳しさだと思うのに。宇宙にあるダンスは歓喜を踊る。関西の歓喜は?歓喜を感じないと始まらない。


つまり、よほど…よほど感じる力がないと踊れない。波動をキャッチする力が問われる。

阪神大震災で、多くの人たちがその力を与えられて活動を始めた。

地震の与えるパワー、一つここにあり。DNAが解放されたようなもの。ミニ・アセンションみたいなものか。