やっぱり沈む、この春。
昨夜は夕食抜き、早めの8時就寝。薬を減らしてから初めてぐっすりノンストップで眠れました。朝8時まで。まだ体中の血がないような感じで起きにくい。喧嘩中だからモチベーションも上がらないし。
布ナプキンにする、というのは自分の体と向き合う、きちんと経血まで自分で処理する、という基本なのだなぁ、と思います。自分でご飯を作って食べるのと同じくらい。
これでお米や野菜なども自給自足して、トイレもバイオマス、電気も太陽熱、お風呂は薪、というのだとすごく力強い、地に足のついた暮らしだな、と思う。
山形の大谷ゆみこさんの「いのちのアトリエ」でそれを2、3日体験したことはあるけど、それではまだ実感できなかった。自分の暮らしの中で小さいことでもいいから体験する、というのが分かりやすい。
お客様のキャンセルがあって、体と心助かりました。神様がやはりうまく回してくださってるみたい。
まだ落ちたままの私を乗せて、むろやん「プモ・リ」へ。
まだ雪がたくさん残っています。昨夏走り回った庭は数mの雪の山。
BGMでかかっていた曲に2人して惹かれました。今の私の気持ちに合った、早いテンポのピアノ曲。聞いてみると、久石譲の「My Lost City」。失われた私の街、か。今の震災の状況にぴったり過ぎなタイトル。3曲目か4曲目らしい。
それにしても、髪がみっしりと生えてる久石譲。同一人物とはすぐには分からなかった。CDは多分、廃盤になってる。でも久々に心に響いた曲でした。
「自然人 北陸」という雑誌も発見。本屋さんにはない。
北陸の雪のことなど。北陸は世界でも珍しい雷の聖地である、など。
店内、ドライフラワーに赤いバラ。おそらくKAKI工房の制作だろう家具。殻付きピーナッツを輪っかにして鳥が食べられるようにしてあったり。
随所にエッセンスが感じられます。
雪深い。橋がすっかり埋もれてて、欄干しか見えない。
踏み固められた道を行かないと、ズボッと落ちます。引率されてる留学生たちとすれ違う。
雪道を歩くのに夢中になってしまって、パワー得られなかったかな?
…人間がこつこつ作ったものやご先祖の遺影など、津波で流されちゃうんだ。日頃、みんな大事に扱い、敬っていたようなものが「ゴミだ〜」と言わんばかりに。それって、すごく心傷つくことだ。
畑の作物、家畜…然り。
単なるモノだ、卒業しろ、左右されないように感情を手放せ、ったってなー…。
私はどうなるんだろう。
死ぬのかな。
どんな死に方になるんだろう。
一度UFOに乗ったからといって、選別されてるという確証はない。
どのみち死ぬというなら思い切り好きなもの食べたりしたいが、そうもいかん。
魂を向上させるには動物性食べるな、食べなくても平気な体になれ、と。
今、食べ納めとばかりに甘いもの食べてたら放射線やウィルスにやられてしまう。苦しんで死ぬことになるしな。
そういうものは欲しなくなってはいるけど、でもやっぱりその刹那には「あの時食べたのが、最後のハーゲンダッツか」なんて思うんだろうか。
つまらんことばかり頭に浮かんで、むろやんにいちいち。
やり残したことも多過ぎて、悲しい。なかなかやれなくて歯噛みしてたのに、打ち切り。
あの人ともこの人とも、もう逢えないままだな…。
春なのに、喜べない。沈むばかりの心です。「沈黙の春」。
……ああっっ、いかんいかん、オレはそっちの方の映画を選択してしまってるのだろうか?
でも封じ込めるのも欺瞞。この感情をも味わうのが本当なのだろうか。
ワクワクとできない。