今まで、頭と体が乖離していた…。

幸い、午前中お客様なし。「幸い」というより、そうなっている。


むろやんは用事片しに。私は敢えて寝ていることに。


起きていられるけど、布団で仰臥安静を保つ。体横にしていると洟も咳、痰も出ない。その分、体も休まるし体温調節の点でも。


「可能、大丈夫、いける」は「体のOK」よりはるか上をいく。だから決してイコールではないのだ。


起きて事務作業はできるかもしれないけど、体的には布団に潜っていた方がいい、ということ。


ぼーっと寝ていると、しみじみ、今までの生き方は体に相当鞭打ってきたな、と思う。


オーバーワーク。内臓も全部ヒートアップ。体が悲鳴をあげていたのに、その口にガムテープを貼っていた。


聞いてやれるのは私しかいないというのに、その私が口を塞ぐなんて。そりゃ体にとっては恐怖だ。


だから相似象で、体が悪いのにいくら声をあげても隠蔽されるシチュエーションが私には非常に恐怖だった訳だ。


人の4倍5倍働けるバイタリティがあると思っていたが、それは頭が機械的に体を動かしていたから。問答無用、強制的に働かしていた。恥ずかしいぐらい、頭と体が乖離していた状態だった、ということ。


しんどい、辛いという感情をカチッと封印してた。


頭がかきっとスケジュールを決め、体にその通り遂行するように命令していた。


そうしないと動けなかったから…。


肉体は今まで、分離していた。私の子分で敵だった。疎ましい衣だった。


乖離が極まった時にパニック発作が起こっていたようだ。


頭と肉体の乖離。
それゆえ、頭からの命令に体が従うのにタイムラグが起こるパターンもある。


それを「雰囲気ある」と取られる時もある。動作が優雅、と言われることもある。


一方で、超人的な素早い動きもできた。


それは、肉体を殺していたからなんだ。


頭と肉体、会話できてない。コミュニケーション取れていない。


私の魂と猫の魂とのコミュニケーションで比較してみると、圧倒的に自分の肉体とのコミュニケーションが取れてない。


人一倍、取れてると思ったが、まだまだだった。


むろやんが私を「妻」という手下だと思っているように、私は私の頭を優位に置き、体はコントロールするもの、できるものだと思っていた。


コントロールできるのは理性の証だと思っていた。


違う。体の方がもっと深い。教えてくれるのに。


「体の言うなりにしていたら難病が治り、前より健康になった」という女性が本書いていたが、まさにその通り。


「体の言うなり」にした方が正解なのだ。