今、ここで幸せだと「体感」すること。
今日も爽やかな秋晴れ。
目…イタいな。
朝、梨とオージャスドリンク、炊き立て玄米ご飯に納豆。
お世話になってるお二方にきていただいて、お昼ご一緒することになりました。
ご飯やおかずは持ってきてくださる。こちらはおすましだけ用意して、って。
料亭のおだしを煮出して作ったお出汁に、いただいた茗荷と若布のおすましを作りました。
ありがたい。…けど、今まだむろやんとM君としか喋ってないからなのか、目や体のせいだけではない、なぜか久しぶりに疲れてしまった。
クリニック。ここでも先生と噛み合わない。こちらはなりたくないのにかえって意固地に。これも疲れてしまう。
M君。
むろやんにと男性用のウエストポーチを持ってきてくれました。
今のむろやんのは、独身の時の私のチョークバッグ。財布が入らないのです。男性の持ち物入れるカバンってどうなのか分からないので相談したら、いろいろ教えてくれました。ありがとうM君。
これで後はお財布大きめのに買い替えれば、むろやんレジでスムーズです。
レイキで、喉もずっと痛いので当ててもらったら、最初は温かくて気持ちよかったのが、だんだんピリピリビリビリ、電気が手のひらに向かって吸い取られるように感じ始めました。
M君に聞いたら私のとは逆に、最初ビリビリきて、治まってきた頃に私がビリビリ感じ始めたらしい。どういうことになってるんだろう。
最中と終わった後の話。
M君には嫌いな人が数人しかいない。しかも「嫌い」というほどでもなく。私は気の合う人はほんの一握り。すぐ「嫌い」となってしまうのに。
素晴らしい…。
和を自然に醸し、己の喜びとなる人というのは5次元的な人ではなかろうか。
昼間、人で疲れたこととも考え合わせる。
「傷めつけられてばかり」で精一杯な自分。
こういう柔らかさは。
話しているうち、その今の環境は、自分のエゴを打ち破るために与えられている、という…。
例えば私は、「こんな家に住みたい」という夢を昔から強く持ち続けている。結婚してこの家におさまってしまったことで、不全感、不満、「もう一生夢が叶わない、ということ!?」という釈然としない思いが渦巻いている。
だがそれは、「こういう家じゃなきゃ幸せになれない」というモノへの執着、といったものかもしれない。それに気づくために、私はここに住むことになった。ここでも幸せになれる、と知るために。
etc.
とにかく、適当に、何についても「ありがとう」。
あと、富山弁ね。