福森慶之介さんのこと。

昨日は大雪の中、温泉へ。
まだパニックの不安が残る中。

補聴器を外すと全く聞こえないです。
風呂で作業しているスタッフのおばちゃんを目で確認し、
いざとなったら助けを求めるからね、
と心の中で頼んでおく。

露天風呂は外気の寒さのギャップで
息ができなくなりそうだったので
早々に引っ込む。

ずっと不安のせめぎ合いの中でした。

やっと溶けた雪がまた降りしきっているのを見るの、
なかなかに辛い。

今日は一転、暖かい晴天。
太陽に少しでも当たろう、と出かける。

カバンには頓服の他、飴、塩、塩水。
そしてペーパーバックの漫画本。
手首には輪ゴムを。

きたな、という時、この輪ゴムを引っ張るんです。
引っ張るだけでよし。
その痛みの恐怖の方に気がまわる。
このテ、効きます。
今日かなりお世話になりました。
何も高いの買わなくても、体に入れなくても。

先日亡くなった知り合い。
大阪の別の知り合いに聞いてみたら、
先月公演を観てきた、と。

調べると伊丹のアイホール
2日間、やったらしい。
「一世一代福森慶之介」と銘打って。

そう、亡くなった大阪の知り合いというのは
福森慶之介さんです。

福森さんは11歳で脊椎カリエスに。
背骨が湾曲してスムーズに歩けない。
小学校の後半は通学できず、
16歳〜32歳の16年間、寝たきりだったそうです。
少し動けるようになったのは35歳。
通信制高校に入って詩作を始め、
46歳から障害者の劇団態変に出演し始めました。

多分、余命のことをおもんぱかってのことでしょう、
本当は3月公演の予定を2月に早めたそう。

稽古、リハーサルとも、合間合間に椅子に座りながら。
痛み止めを不安のためか、
つい飲み過ぎて頭も朦朧状態になったりしたらしい。
カーテンコールの時は退場できず、
車椅子が準備されての退場だったと。
公演一ヶ月後に亡くなるというのは、
舞台に打ち込んだ壮絶さを物語っているようで。

2/4、5
伊丹アイホール
ベケットゴドーを待ちながら」。
「一世一代福森慶之介 又、何処かで」。

観客一杯で
増席につぐ増席でも間に合わないほどだったらしい。

お通夜、そして昨日のお別れの会。
全てをやり遂げた満足に満ちた優しいお顔だったそうです。

現役で。
やり尽くしての。
たくさんの方に自分のパフォーマンス観ていただいての。
幸せだ。

アイホールは私も何回か、公演させていただいた。
その時もパニックと闘いながらだった。
楽屋で、廊下で、スタンバイする袖で、私は薬を飲んだ。

別のホールで福森さんと一緒だった舞台の時も、
かなり強いパニック発作が出て・・。

福森さん、あの同じアイホールのあの空間で、
客入れ前のあの舞台照明、客席を見ながら、
痛みを止める薬を飲んだのか。

パニックではないけれど、
なんという精神力だろう。

私ならとても臨めない状況です。
そうなったら初めから公演は打たないかも。

・・・この人は・・・。

「又、何処かで」。